人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.9

ビードルの悲しい最後
ミスビードルはウェナッチに胴体着陸後、ランディングギアの修理のため、シアトルに搬送された。その後パングボーンたちは世界一周を達成するためにニューヨークまで飛んだ。世界一周速度記録こそ樹立することはできなかったが、人類初の太平洋無着陸横断の記録を達成した。ハーンドーンはその後、ミスビードルをレオン・ピスクーリという医者に売却して、さらに資金を手にすることになった。この医者は機体名を"アメリカンナース"に変え、イタリアまでの飛行を試みたが、イギリス近海で墜落し、機体も乗員も二度と帰らないものとなってしまった。なおビードルの機体図面は、ベランカ氏の子孫、オーガストが経営するアビアベランカ社が所有権を持ち、スミソニアン博物館に収蔵されている。

エピローグ
後日談ですが、三沢市と同様ウエナッチ市もりんごの有数の産地であることから、淋代海岸で小さな子供にもらった5個のりんごに感謝して、ウエナッチ市よりリチャードデリシャスの苗木5本が、三沢市に贈られている。その苗木は、三沢市のりんご農園で挿し木され、数年後立派なデリシャスの実をつけた。現在もこのリチャードデリシャスは、日本中で収穫されている。また現在ある三沢基地は、この偉業を契機に作られたものといわれている。そして1981年には、青森県三沢市とワシントン州ウエナッチ市は、姉妹都市契約を結び、今日まで20年にわたり友好関係を続けていることはご存知のとおりです。

最後に
なお青森県と三沢市は、この偉業にちなみ2003年夏に、淋代海岸近くに航空科学館をオープンする予定です。2003年はちょうどライト兄弟のフライヤー号が、初めて空を飛んでから100年目にあたることもあり、記念すべき事業となるとおもわれます。またウエナッチ市でも地元EAAのメンバーを中心にミスビードルの復元機を製作し、2003年夏に三沢市淋代海岸からウエナッチに向けて離陸の予定です。もしこれが成功すれば、航空科学館のオープンにすばらしい花を添えることになるに違いありません。


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