人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.3

突然のコンペティター
ほぼフライトの準備が終わろうとしていた1931年6月下旬、パングボーンにとって予期しないことがおこった。ポスト・ガッティチーム(Wiley Post & Harold Gatty)がロッキードの単葉機で、今までの速度記録を大幅に塗り替え、ほぼパングボーンが計画していた飛行ルートで8日と15時間51分というとてつもない記録を打ち立ててしまったのだ。このニュースを聞いたときには、ベランカはロッキードに比べスピードは遅いが、航続距離が長いため給油のための離着陸回数が少なくてすむし、まだ勝てる可能性があると挑戦をあきらめなかった。

世界一周へいよいよ出発

ニューヨーク、ルーズベルト空港での機体お披露目のワンシーン。
1931年7月28日早朝、パングボーンとハーンドーンはニューヨーク市郊外のルーズベルト第2滑走路から、ベランカスカイロケットの設計者でベランカエアクラフトコーポレーション社長のジュゼッペ・マリオ・ベランカ氏や多数の見送りを受けて出発した。ちょうどボードマンとポランドがニューヨークーイスタンブール間の横断飛行に出発したわずか20分後のことであった。このときハーンドーンの母親といっしょにハーンドーンの新しいワイフもきていた。なんとハーンドーンは、このチャレンジを前にしてパングボーンには秘密にして出発の数週間前にマリー・エレン・ファーレイという女性と結婚していたのだ。パングボーンが飛行準備を進めている間、彼はパングボーンとの飛行ルートの確認や準備の打ち合わせをすっぽかして、彼女との結婚準備をしていたのだ。とんだお荷物を背負ってパングボーンは大西洋を霧の中、なんとか飛行を続けた。30時間を過ぎたところで仮眠のためハーンドーンに操縦桿を渡したところ、完全に飛行ルートからはずれてしまっていた。寝ていた時間とスピードから逆算して位置を予測し、何とか陸地を発見し農地に着陸した。農家の人の話から、そこはウエールズの片田舎ということが解った。おかしなことにその農家の一人がハーンドーンという名前だったことから大いに歓迎されて、村の近くのブラックライオン・インというホテルに一泊することになってしまった。


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