人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.8


胴体着陸後のスナップ
(ハンドーン[左]と パングボーン[右])

賞金25,000ドルの小切手を
渡した朝日新聞記者
(岡崎氏[左]と木村氏[右])
賞金と栄光
まもなく朝日新聞の記者から25,000ドルの小切手が手渡されたが、結果としてパングボーンの手に渡ったのは、2,500ドル以下であった。さらにミスビードルも、ハーンドーンの所有のままにされた。さらにATW社との契約で、パングボーンはこの偉業に関して、一切のマーケティング活動をすることができなかった。1927年に成功したチャールズ・リンドバーグの大西洋横断に匹敵するか、それ以上の偉業であったにもかかわらず、結局パングボーンは、相応の社会的賞賛も賞金も手にすることは出来なかった。但しパングボーンには、後にこの太平洋横断を称えて、最も優れたフライトの象徴であるハーモン・トロフィーが航空連盟から贈られた。又日本からもこの偉業を称えて、沢山の手紙が送られている。

福井県高椋尋常小学校代表、加護秀雄君から送られた
1931年10月15日付の書簡。
(和紙に筆で書かれ、巻紙になって送られた。)

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