人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.1

はじめに
歴史に埋もれてしまったミスビードルの太平洋無着陸横断飛行の事をとあることから知り、調べていくうちにロマンに満ち溢れた、航空史上まれにみる偉業であることに心動かされました。今から70年も前のことなので残念なことに日本側に余り資料が無く、米国ワシントン州のプルマンにあるワシントン州立大学図書館でさまざまなドキュメント、コレスポンデンス、写真、フィルムなどを収集し、また着陸したウエナッチ市にあるノースセントラルワシントンミュージアムに収蔵されていた関係資料を写真に収めました。更にレプリカを製作しているボランティア関係者(Spirit of Wenatchee)にもお会いして当時の模様を聞いたり、製作過程をつぶさに見ることができました。ここにまとめたものはその全てではありませんが、不幸にして忘れ去られようとしている航空ロマンを皆さんに知っていただく上で、少しでもお役に立てれば幸いです。

プロローグ
時は1931年春(昭和6年初め)、1929年(昭和4年)から始まった経済大恐慌の影響で他産業と同様、米国航空業界も未曾有の不況にみまわれていた。バーンストーマーとして活躍していたパングボーン(Clyde E. Pangborn)も、フライイングサーカス時代の終焉とともに経営していたフライングフリート社も資金難に陥りとうとう会社をたたまざるを得ず、一機だけあったニュースタンダードD-24も、カリフォルニア州パロアルトの格納庫の未払い使用料のかたに、裁判で取り上げられてしまっていた。そんな窮地から脱出するため、彼は新しいプロジェクトとして、航空機による世界一周速度記録にチャレンジすべく準備を開始した。それまでの世界一周速度記録は、ドイツのグラフツエッペリンが1929年に打ち立てた20日と4時間であった。この世界一周速度記録の樹立は、パングボーンにとって人生の全てを変えるための、体を張った賭けであったに違いない。


    NEXT

人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.2

人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.3

人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.4

人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.5

人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.6

人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.7

人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.8

人類最初の太平洋無着陸横断の記録〜 No.9


ページトップへ